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エリサベト・ア・ダンマーク (1485-1555) : ミニ英和和英辞書
エリサベト・ア・ダンマーク (1485-1555)[ごひゃくごじゅうご]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エリサベト・ア・ダンマーク (1485-1555) : ウィキペディア日本語版
エリサベト・ア・ダンマーク (1485-1555)[ごひゃくごじゅうご]

エリサベト・ア・ダンマークElisabeth af Danmark, 1485年6月24日 - 1555年6月10日 ベルリン)は、ドイツブランデンブルク選帝侯ヨアヒム1世の妻。
デンマークハンスとその妻でザクセン選帝侯エルンストの娘であるクリスティーナの間の長女として生まれた。1502年4月10日ににおいて、ブランデンブルク選帝侯ヨアヒム1世と結婚した。この時、エリサベトの父方の叔父フレゼリクと、ヨアヒムの妹アンナの婚礼も同時に行われた。この2つの縁組は、デンマーク王室ブランデンブルク選帝侯家の絆を深めるための二重結婚であった。選帝侯夫妻は間に5人の子供をもうけた。
1523年頃より、反教皇派の神学者マルティン・ルターの教説に共感を寄せるようになったが、これは宗教改革の強硬な反対論者だった夫の怒りを買うことになり、夫から監禁すると脅迫されるようになった。1527年以後、秘かににあずかるようになった。1528年3月、ブランデンブルク領を越境してザクセン領のに逃れ、母方の叔父であるザクセン選帝侯ヨハンに庇護され、1535年までザクセン宮廷に滞在した。
亡命中は深刻な経済的困窮に悩まされていたが、1535年に夫が死ぬと、2人の息子ヨアヒム(2世)ヨハンが相当額の年金を送るようになったため、生活状態は改善された。翌1536年、のに転居し、この城で小宮廷を営んだ。1545年にようやくブランデンブルク領に戻り、ベルリン郊外のに居を構えて熱心な宗教活動に身を捧げた。
== 子女 ==

*ヨアヒム(1505年 - 1571年) - ブランデンブルク選帝侯
*アンナ(1507年 - 1567年) - 1524年、メクレンブルク公アルブレヒト7世と結婚
*エリーザベト(1510年 - 1558年) - 1525年にブラウンシュヴァイク=カレンベルク公エーリヒ1世と結婚、1546年にヘンネベルク伯ポッポ12世と再婚
*マルガレーテ(1511年 - 1577年) - 1530年にポンメルン公ゲオルク1世と結婚、1534年にアンハルト=ツェルプスト侯ヨハン4世と再婚
*ヨハン(1513年 - 1571年) - ブランデンブルク=キュストリン辺境伯

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エリサベト・ア・ダンマーク (1485-1555)」の詳細全文を読む




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